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神戸洋服、神戸靴、神戸洋家具
カテゴリー:インテリア全般
目次
神戸の地にて、インテリアショップとして家具やインテリアのご提案をしていますガゼボです。
皆様は「神戸洋服、神戸靴、神戸洋家具」という言葉をお聞きになったことがありますか?
神戸は、日本においていち早く洋物文化が親しまれた地です。
今回は、神戸洋服、神戸靴、神戸洋家具についてご紹介します。
神戸洋服
明治のはじめに「洋服」の文化が入ってきました。
当時は、タキシードやビジネススーツなどを指しました。
神戸で初めての洋服店は、明治2年にイギリス人のカペルが旧居留地16番館に開業しました。
カペルの弟子である柴田音吉は日本人最初のテーラーです。
明治天皇や伊藤博文などの要人たちの洋服を仕立てました。
明治5年に明治政府は「宮中における礼装は洋服をもって正装となす」と発令を出します。
これを機に、洋服は急速に広まっていきました。
民間人にも洋服は広まり、神戸には多くの仕立職人集まるようになりました。
互いにその技術やアイデアを競い合うことで神戸洋服は磨きがかかり、今もなお上質な紳士服が作られています。
神戸靴
居留地というのは、国内の指定された箇所に外国人のための住まいや店舗を置いた地域を指します。
居留地には外国人が大勢暮らし、生活を営みました。
外国人の靴を修理、新調するのは、当時のぞうり職人たち。
こうして神戸の製靴業は始まりました。
高い技術と品質で作られた神戸靴は全国的に人気が広がり、「神戸の履きだおれ」と呼ばれるようになります。
阪神大震災で神戸の靴製造は一時危ぶまれましたが、現在でも神戸靴は高級婦人靴の中の高いシェア率を誇ります。
神戸洋家具
神戸港の開港とともに外国人たちはヨーロッパの家具を持ち込みました。
見よう見まねで家具を修理したのは、日本の船大工たちでした。
その後、洋家具を修理販売する古物商が現れ、これを機に神戸の洋家具業が始まり、やがて製造業へと発展します。
明治時代の終わりから大正時代にかけてのことです。
次第に西洋家具は日本人の生活様式に合わせて変容し、日本人の感性と高い技術が相まって高みを増します。
戦後は焼け野原になった神戸ですが、復興時には一気に洋風の文化が浸透。
婚礼家具として洋家具ブームが起こる時代も経て、現代でも神戸の上質な高級家具は神戸洋家具として格別の位置付けです。
ものづくりの都、神戸からお届けするインテリア
神戸には今もなお、卓越した技術を持つ職人たちが素晴らしい「ものづくり」をしています。
お目が高いお客様もたくさんいらっしゃる地域です。
そんな神戸の地より、ガゼボは上質なインテリア・家具のご提案を長年しております。
ぜひ、理想のお部屋づくりをお考えでしたら、ご相談ください。
インテリアのトータルコーディネートのお手伝いもしております。
お気軽にお問合せくださいね。